居酒屋 たまる
大阪市中央区 日本橋2-10-5
この門のところで

またこんなん見つけてもた…
店の前でチャリに跨り
看板をガン見…
コラーゲンは十分すぎるくらい蓄えてるつもりやが
どんな飲みもん(カレー)出すんやろかって
興味本位で…入店。

ちょっと昼のピークタイムを過ぎてたせいか
ガラ~~ンとした
広い店内に店員さんが一人
張り紙通りにお盆を持って
何処かの社食か学食来たみたいに
矢印通りにすすんだ…
ワイ:「スンマセン…カレー並盛で~」
店員さん:「3番ですね…番号で言ってくださいね~」
別に並盛って注文したってええんちゃうん??
ほんだら、トッピングのカツもカレー増量にも
番号付けとけ!!って心のなかで思いながら
改めて「3番の並盛!!」を注文

薩摩黒豚コラーゲンカレー
3番 並盛

コラーゲンの素は結構ぎょうさん入ってるけど
カレー自体は比較的シャブシャブタイプなんで
喉越しよおにごくごく飲めるわ
胃にヨサゲ…??

しかし並にしてはぎょうさん入ってるわ…
ルーもご飯も…
減れへんがな…

写真ではわらんやろけど
この皿以上にデカイんです…
4番にしとけばよかったわ…

多いはずやわ…
この張り紙先見てたら、小盛にしたのに…
ごちそうさまでした。
この記事を書いててふと気づいたんですが
小盛って¥300?
それとも¥400?
どっちなんでしょか?
黒門市場の由来
明治の末期まで堺筋に面した日本橋2丁目に、圓明寺という大きなお寺があったことから、黒門市場は圓明寺市場と呼ばれていました。 圓明寺の北東に向かって黒い山門があり、この黒い門の存在が後日、黒門市場と呼ばれるゆえんであります。
古書「摂陽奇観」に「文政5年(1822年)~6年の頃より毎朝魚商人、この辺に集まりて魚の売買をなし、午後には諸方のなぐれ魚を持ち寄りて、日本橋にて売り捌くこと南陽の繁昌なるや」とあり、この記述が黒門市場の起源であると考えられます。
明治15年1月に安井健次氏が、南区日本橋南詰で魚類青物市場の開設を大阪府へ出願しましたが、商法会議の臨時会で賛成者少数のため否決されました。しかし、その後も魚商人による売買が継続され、明治35年2月に公認市場として認可されました。
市場は明治45年1月の難波の大火災で、圓明寺と黒い門とともに消失し、また先の大戦で昭和20年3月、市場界わいは焦土と化しましたが、戦後まもなく元の商人たちが集まり、市場の復興に尽力いたしました。
以後、食い道楽、浪速っ子の胃袋をあずかり、卸売と小売の機能を兼ねそなえた市場として親しまれ、今日に至っています。
黒門市場商店街振興組合HPより

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